ちょいワル親父ー三浦友和ー
人気芸能人のヘアスタイル
自分もあんな風に!って。。。憧れますよね。
でも、ヘアスタイルをまねたからって、その人と同じように見えるわけ
ではありません。顔の型によって似合うヘアスタイルも違ってくるのです。
まずは自分の顔の型をチェック!!
そして人気のlヘアスタイルでどれが自分に合うか考えてみましょう。
三浦友和(みうら ともかず、本名:三浦稔<みうらみのる>1952年1月28日生 - )
山梨県塩山市(現・甲州市)出身
血液型 AB型
身長 178cm
体重 71kg
俳優
東京都立日野高等学校卒業
妻は元歌手、女優の山口百恵(1980年11月19日結婚)
1960年、警察官であった父親が小学3年生で警察官をやめて 家族と共に東京・飯田橋に転居。さらに中学で立川に転居。
ラリードライバーの篠塚健次郎は義兄(実姉・ひろ子 (元歌手・タレント 芸名:牧陽子→三浦弘子)の夫)
忌野清志郎とは同じ高校の同級生だそうです。 高校生の頃は清志郎とは違うバンドに参加しており 初期のRCサクセションではバックミュージシャン として、中期はゲストでライブに参加したりと三浦友和は RCサクセションとは、関係が深かった。
RCサクセションの曲である「金もうけのために生れたん じゃないぜ」で三浦友和はボンゴ担当として当時のLPの クレジットタイトルに名前が明記されている。しかし 実際に音源を聴いてみるとボンゴの音が入っていないことを 忌野清志郎がオールナイト日本に出演したときに発見して 「あいつ全然叩いてねぇじゃねぇか!」と失笑される。という 逸話がある。
ただしRCサクセションの初期メンバーという説は誤りである。
また三浦友和の実姉がタレント活動をしていた関係で、放送局等へ 出入りしていたことがきっかけで映画のオーディションを受ける ことになり現在に至っている。
三浦友和は30代後半に、ロケで訪れた釧路で、共演者の 故・川谷拓三に誘われたことがきっかけでパチンコにはまるり、 三浦友和は、パチンコ店の開店の日には、一般人に紛れて早朝 から並んだこともあるほどの入れ込み様。新宿周辺のパチンコ店 の地図がかけるぐらい新宿周辺のパチンコ店の場所を三浦友和は 覚えているようです。 そのことがのちに「はみだし弁護士・巽志郎」シリーズでの 役柄に生かされることになったようですが。。。
三浦友和の妻である山口百恵が最後のステージでステージ上に おいたマイクが長年三浦家に保管してあることを尊敬している 渡哲哉に相談したところ、渡哲哉の計らいで小樽にある 石原裕次郎記念館に山口百恵が最後に使ったマイクが展示される こととなり話題となる。
三浦友和が出演した有名なテレビ出演番組
赤いシリーズ(山口百恵と共演した一連のドラマシリーズ)
「赤い疑惑」(1975年-1976年、TBS、相良光夫役)
「赤い衝撃」(1976年-1977年、TBS、新田秀夫役)
「赤い死線」(1980年、TBS、北村明夫役)
最近では
世界の中心で、愛をさけぶ(2004年、TBS、廣瀬真役)
あなたは人を裁けますか(2005年、NHK、横沢裁判員役)
涙そうそう この愛に生きて(2005年、TBS、小田浩役)
無医村に花は微笑む(2006年、フジテレビ、将基面誠役)
純情きらり
(2006年、NHK朝の連続テレビ小説。共演:宮崎あおい)− 有森源一郎役
土曜ドラマ『ウォーカーズ〜迷子の大人たち』
(2006年11月11日〜12月2日 NHK)− 寺島隆彦 役
- 映画では多くの山口百恵共演作がある
- 伊豆の踊子(1974年)山口百恵と共演。映画デビュー作品。
- 潮騒(1975年)山口百恵と共演。
- 絶唱(1975年)山口百恵と共演。
- 青い山脈(1975年)
- 風立ちぬ(1976年)山口百恵と共演。
- 春琴抄(1976年)山口百恵と共演。
- 泥だらけの純情(1977年)山口百恵と共演。
- 霧の旗(1977年)山口百恵と共演。
- 姿三四郎(1977年)
- ふりむけば愛(1978年)山口百恵と共演。主題歌の歌唱も。
- 炎の愛(1978年)山口百恵と共演。
- その他の出演映画
- 聖職の碑(1978年) 新田次郎原作。 大正時代、長野県の高等小学校が木曽駒ヶ岳に集団登山した際実際に起こった気象遭難事故を元に、極限状態での師弟愛を描いた。
- ホワイト・ラブ (1979年)山口百恵と共演。
- 天使を誘惑(1979年)山口百恵と共演。原作・高橋三千綱。
- 古都(1980年)山口百恵と共演。
- 海峡 (1982年) 東宝50周年記念作品。高倉健、吉永小百合、森繁久彌らと共演。
- 大日本帝国(1982年)
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